Branch<中>

 暗めの茶色でふんわりウェーブがかかったショートワンレンボブ。
 ワインレッドに黒の花柄刺繍が施されたノースリーブのフレアワンピースを着ており、高級そうなジュエリーが嫌味に感じないくらい似合っている。ゴールドアイメイクで、守屋理佐とは比較的ナチュラルな感じで仕上がっている。今に「ボンジュール」とでも言い出しそうなセレブらしいエレガントな登場だった。

 驚愕、されど、取り乱すことなく私たちを凝視するセレブな私をよそに、私たちはルーチンワークをこなすかのように、さくっと現状説明と自己紹介を始めた。慌てふためくことも、ショックを受けることもなく「あら、そう」と、余裕ある受け答えをした。
 横柄気味な守屋理佐と違って、謙虚でうやうやしげである。肝心の守屋理佐はというと、社長の威厳もなく項垂うなだれている。守屋理佐の代理として、米谷理佐が彼女の紹介をした。
 私たちはセレブな私の恋人の名前を聞く前に言い当てた。

「ズバリ、菅井様でしょ!」

 クスッ、と小さく笑って頷き、「わかっちゃいます?」と答えた。
 ビンゴ! セレブの恋人といったら、クラスの生徒会長でもあり筋入りのお嬢様こと菅井様しかいなかろう。

「仕事ですか。私は専業主婦やってます」

 両腕を組み、片手の指先で唇を撫でながら柔らかく微笑んだ。なんなんだ、このエッチなお姉ちゃんは。本当に私、なのか?
 ひとつひとつの動作があまりに色っぽくて同じ私でもドキリとしてしまった。
 同じ私なのに、別人のように感じる。付き合う人が違うだけで、こんなに変わるものなのだろうか。環境や付き合う人で人間は変われるのだから、人間というものは不思議な生き物だ。

「玉の輿じゃん! いいなぁ〜」

「菅井様ってさ〜温厚だし、穏やかな感じですごく優しいし。欠点が見当たらない感じ」

「学校ではダントツで人気者だったよね」

 婚活コンビが「これは入れ替わらないと!」「どうやって入れ替えてもらう? 嘘で幸せアピールでもする?」と懲りずに婚活じみた作戦を立てている。

「ここで一番幸せなの貴女じゃない? いいなぁいいなぁ」

 菅井様を褒め讃える流れの中、菅井理佐のナチュラルで美しい弓なりの眉がぴくりと動いたのを私は見逃さなかった。

「菅井様と結婚したら誰だって幸せに––––」

「皆が思っているほど幸せってもんじゃないわ」

 ピシャリ、と穏やかなれど、低く不機嫌さを帯びた声だ。相変わらず柔らかい表情を崩さないが、目は笑っていない。国民の前で感情を押し殺す天皇陛下に近いものがあった。

「皆が友香をもてはやすから、幸せだと勝手に決めつけられてしんどいこっちの身にもなってほしいわね、本当に」

 その場にいた私たち皆「え〜」と、避難するような声を上げたが、私は菅井理佐にすごく共感してしまった。
 結局、他人の内情なんて外野にはわからないものなのだ。

「私ね、毎日舅と姑にいびられているのよ」

 ため息混じりに、眉間にしわを寄せて言った。憂う姿もなお美しく、艶かしい。

「テーブルマナーに、語学勉強に、ペン教室に! 乗馬に! 日本舞踊に! スケジュールは常にパンパン!」

 指を折って数える度に、だんだんと語勢を強めて早口になっていく。数の多さ、肩苦しそうな響きのする単語に、私たちは自分事のように軽い目眩を覚えた。

「友香はお偉い人と付き合わなきゃいけないからって、乗馬クラブにそそくさと逃げるし」

 腕を組みながらほっぺたを膨らましちゃうあたり、悪態の吐きかたもセレブらしく上品な感じがある。あとね、と彼女は眉を上げながら続けた。

「有名な菅井グループの跡継ぎだから、女性と付き合ってますってわけにもいかないじゃない? だから私は軽く家に幽閉されてるのよ」

 自分のことじゃないのに、私たちの顔がどんどん沈んでいく。

「これじゃあ妻ってより、召使いって感じね」

「ううう……」

「すごく孤独で、しょうがないわ……」

 力なく笑った。未亡人のような哀愁感が漂っている。大金を得ても、美貌をもっても、満たされないというのが余計切なくなる。
 守屋理佐とはまた違うベクトルで、富はあるのに心は貧しい感じで、彼女もまた、哀れだった。

「ポテトチップス食べながらソファに寝転がってお笑い番組を見ることさえ許されないのよ。金持ちの妻は楽じゃないわ。それでも腹くくって入れ替わる覚悟はあるのかしら」

 ふるふる、と皆して首を横に振った。
 菅井理佐は一つ小さなため息をつくと、お手入れが行き渡ったツヤ髪を掻き分けながら、頭頂部を私たちに向けた。

「ほら、見て」

「あ、ほんとだ。10円玉ハゲがある……」

「いやこれ、500円玉クラスじゃない?」

 誰にでも、悩みはあるものだなと思った。

「多忙みたいやけど、夜もあまりない感じなん?」

 上品な彼女に躊躇なく尋ねる米谷理佐の鋼のメンタルには感心する。思春期並みに発情しまくってどうしようもないのだろう。猿か、こいつは。

「そうね、普通よ。普通……」

 照れ隠しなのか、目を伏せて髪を耳にかけた。だから、いちいちエロいんだって。
 なにか隠しているように見えたのは気のせいだろうか。だが、あまり詮索しないことにした。

「ハネムーンはどっか行ったりした?」

 やっと復活したらしい守屋理佐が前髪を整えながら、そう尋ねた。

「プライベートクルーザーでモルティブに行ったわ。地中海の上で誕生を祝ってもらったわね」

 当たり前のように答えが返ってくる金持ちエピソードに一同唖然とする。桁違いの規模に相槌を打つことすら忘れる。

「プライベートクルーザー? それは自前の?」

「ええ。内装エルメス仕様なんだけど、元庶民だから汚さないよう神経尖らせて大変だったわ……。そちらはどこかへ?」

「私はプライベートジェットをレンタルして、オーロラ見にアラスカへ行った」

 守屋理佐はそんな凄くないよ、とでも言いたげに肩をすくめる仕草を見せた。

「へぇ、プライベートジェットのほうがすごいじゃない! ロマンチックね」

「じゃないと茜がわがまま言うからね。乗り継ぎ無しで、あいにくの天気になっても雲の上で見れるようレンタルしたの。購入してって言われてるけど維持費が馬鹿ならないから無理」

 浮世離れした話に花を咲かせる守屋理佐と菅井理佐のセレブコンビ。置いてけぼりを食らう庶民の私たち。二人だけオーラが黄金色に輝いているように見えた。
 そんなセレブコンビの、二人だけの世界を割り込むように––––。

チリン

「いらっしゃいませぇー!」

「いらっしゃい」

 ドアベルが鳴った。

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