Branch<中>

「そのタトゥーさ、他にはなんかねえの?」

 志田理佐は呑気な口調で尋ねた。こいつ、あまり状況を理解できていないらしい。頓狂とんきょうな質問に、守屋理佐が天を仰ぎながら吐き捨てるように「はぁっ」と重い嘆声を洩らした。明らかに激しく苛立っている様子だった。
 平手理佐は嬉しそうに、おもむろに脱ぎ始めた。谷間には蓮の花が凸凹に浮き出ている。
 紙や布などに文字や模様を浮き彫りにするためにエンボス加工が施されているのを、肌にも似たような感じで立体感を出しているといった風だ。
 理解に苦しむ身体装飾に、何人かの私が揃って顔をしかめた。

「スカリフィケーションっていうんだけど」

「あ? すかりふぃ……?」

「針とかカミソリとか使って皮膚を切って装飾していく感じかなー」

 誰もが思わず耳を塞ぎたくなるような、狂気じみた装飾方法に目を爛々と輝かせているのは、身体に墨を入れている志田理佐だけだった。

「よくわかんねえけどかっけぇな!」

「まさに底辺そのものね。レベル低すぎて付き合ってられないわ」

 耐えに耐えかねた守屋理佐が言い放った一言。これが火種となった。沸点が低すぎる志田理佐が黙っていられるはずもなく。

「なんつった。てめぇ。あ?」

 負けず嫌いの守屋理佐が退くはずもなく。

「貴女のこと『底辺』って言いました!」

「もいっぺん言ってみろ! つか、テーヘンだの馬鹿にしてっけど、毎日小説読んでるからな。 『恋空』! ごるぁ!」

「ああ、ごめんなさい。存じ上げませんでした。なんせ『資本論』読んでる私には全く縁のない本なので」

 とうとう逆鱗に触れた志田理佐は守屋理佐の襟元を掴み、唾飛ばしながら啖呵を切った。

「マジやべえバック付いてるからな、住所教えろ!」

 相互の瓜二つな顔がめ合っている。一触即発だ。

「ちょっと貴女、いくらなんでも今のは言い過ぎよ」

 菅井理佐が守屋理佐を嗜めるように仲裁に入ったのだが、底辺女の肩を持つのが気に入らなかったらしい。プライドを傷付けられた守屋理佐は顔をみるみる赤くして。

「ちょっとあんた! こいつの味方するわけ?」

 避難する守屋理佐をなだめるように、菅井理佐は大人の対応で落ち着かせようとしている。その余裕たっぷりの態度は逆効果で、守屋理佐を苛立たせたに違いなかった。
 蒼くなっていく菅井理佐とは対照的に、守屋理佐は今にも血管が切れて血が噴出しそうなほど真っ赤にさせていた。私たちはこれはまずい、と怖くなって目を見張った。しかし、成り行きを見守るほかない。

「違うの、そうじゃないわ。ただ、ここは出会いの場であって喧嘩する場ではないでしょう。だから……」

 菅井理佐は消火活動として火に水をかけたつもりなのだろうが、残念ながらその火は油によって燃えていたのだ。
 結果、見事大火事と化した。

「そういえば!」

 守屋理佐は顎を上げたまま見下すように睥睨へいげいしながら話を遮った。菅井理佐の話を聞く気は全くない、といった風に。彼女も会話のキャッチボールが豪球なところがなんだかんだ、守屋茜の恋人らしくもあった。

「頼りない会長の菅井に副会長の茜はかなり苦労したらしいね。そのストレスがたたってヒス女になったんだ!」

 ひどすぎる責任転嫁だ。

「はい? ちょっと今の、聞き捨てならないわね。友香ちゃんを悪く言うのやめてくださらない!?」

 なんだかんだ菅井に対して愛情はあるらしい。恋人を腐されて余裕をなくした菅井理佐は、歯をむき出しにして怒りの感情を露わにした。

「友香ちゃんは夜に関しては問題ないわ。蝋燭垂らして鞭しならせたら馬のようにいなないて尻尾振りながらク×ニしてくれるのよ。どなたかの自己中女とは違ってね!」

 煽るセレブ理佐。とんでもない夜事情のカミングアウトがとんできたが、ここまできたらもはや驚きの感情も持たない。

「皆、やめようよー。私の彼女も就活250連敗のニートで苦労してるけどなんとかなってるし」

 スローモーションな声で口を挟んできた渡辺理佐を、菅井理佐がキッ、と睨んだ。普段は穏やかそうな人に睨まれるのは結構ドキリとするものがある。渡辺理佐のやや呑気そうな顔に緊張が走ったのが見えた。

「その言い方なんなの、私がここの誰よりも悲劇のヒロインだって言いたいわけ?」

 あらぬところへと飛び火する。同じ自分に負けるのは癪なのだろうか。負けじと睨み返した渡辺理佐の後ろから、婚活コンビの原田理佐が相方の肩に手を置いて止めに入った。

「ちょっとやめときなって、火に油注ぐだけだから……」

「うるさい、ロリコン!」

 同志と思っていた自分からの思わぬ反撃に裏切られたような気持ちになったのか、原田理佐は口をパクパクいわせながら。

「う、うるさい。合法ロリだから!」

 まるで合法ドラッグ、みたいな言い訳だ。

「クソニートのぺーちゃんと違って、料理も勉強も夜もしっかりできるてるから!」

 熱い抱擁を交わした二人はいつの間にか、掴み合いになっていた。コンビ解消の瞬間だ。女の友情、なんと脆いことか。
 しかし、同じ私なのでもちろん力も同じで、決着がつかない。両者の足が絡み、バランスを崩したところで長沢理佐にぶつかった。仏様のような笑顔が二人の苛立ちを駆らせたのか。

「どけよ、デブ!」

 容赦ない乱暴な言葉を投げつけられた。
 長沢理佐も仙人というわけにはいかなかったらしい。仏様のような笑顔が消えた。次の瞬間、どすこい、といわんばかりの張り手で二人はいともたやすく飛ばされ、もんどり打ってテーブルに叩きつけられた。下のテーブルが衝撃に耐えきれず、真っ二つに割れ出した。威力は絶大だった。

「昨日なんかフグでプレイしたし!」

 謎の自慢が入った。

「食べ物を粗末にするのはよくないよ。食べ物に罪はないんだし」

 横から小林理佐が割って入ってきた……のだが、タイミングが悪く。長沢理佐が振り返った拍子に、故意なく小林理佐の骨折した腕にぶつかったらしい。

「あうううッ!」

 激しい痛みで呻吟しんぎんし始めたのに、当惑した様子の長沢理佐は助けを求めるような視線を私に寄越してきた。私は目を逸らした。
 やっと顔を上げたと思うと、眉根に思いっきり皺を寄せてはグルルと言わんばかりに歯をむき出しにしていた。物凄い形相は、狂犬そのものだった。

「ずっと点滴生活でロクに飯食えてない私に喧嘩売ってんのかって訊いてんだよてめぇ!」

 お腹空いているのか、イライラしているらしい小林理佐がドスを利かせた声で、松葉杖を袈裟懸けに大きく振り上げた。流石におののいた長沢理佐は後退あとずさったが、すぐ後ろに倒れてる婚活コンビにつまずき、そのまま重なるようにして仰向けに倒れた。その下で下敷きになった二人がウッ、と息絶え絶えに呻いた。お気の毒に……。

「由依と入ったホテル旅館コテージ全部、全焼したからな!」

 これもまた、謎の自慢だ。
 振り上げた松葉杖を握る手に力が込められ、動き出した。そのまま振り下ろせば長沢理佐の脳天に直撃し、いくら体力高そうなデブといえど頭なら一大事になりかねない。私は思わず目を覆った。
 あわやというところで、米谷理佐が小林理佐に突進するように抱きついたお陰で松葉杖がぶんっと空を切った。

「落ち着いて! イライラしないで。きっと入院生活によるセロトニン不足のせいだから……」

 米谷理佐は震える手で眼鏡を上げながら冷静を装って、狂犬に説得を試みた。早口で。
 本人は至って真剣なんだろうが、今この状況で優等生ぶり発揮して知識をひけらかすのはうざったいとしか思わない。

「あんたさっきからずっと私たちのセックス訊いてばっかだけど、あんたとこはどうなの!?」

「えっ、ウチはずっとテレフォンセックスやけど……」

 馬鹿正直に答える真面目な米谷理佐の隣で、平手理佐が爪をいじりながら口を挟んだ。

「へー平手ちゃんは10回戦は余裕なんだけどー超テクニシャンだし。しかも5Pだしぃ」

 そう言うと、ワンピースの裾を上げた。覗かせたのは、太ももに散りばめた無数のキスマークである。生々しい。

「うらや……ちくしょう、去ねやダボが!」

 なんだか恋人との夜事情でマウントとっている流れになっている。醜い有様だ。特に守屋理佐と志田理佐なんかは顔に青タンを作っているではないか。ポカンと眺めている長濱理佐の私。

「次で最後ですね」

「やっとですか!」

 おじさん二人も、平手理佐と同様に感情が欠如しているのか。ごく普通のように会話を交わす。私の頭が追いつかない。

チリン

「いらっしゃいませー!」

「いらっしゃい」

 止む気配のない騒音の中、ドアベルが鳴った。

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