Branch<中>

 次に姿を現したのは、米谷と付き合っている私ほどではないが垢抜けてないものの、お姉さんになっている私だった。エプロン姿に髪を一つ縛りにして、化粧も薄い。眼鏡はかけていない。どこかやつれているようにも見えるのは気のせいだろうか。
 そいつは、私たちを見るなり小さい悲鳴をあげてオドオドし出した。
 二人の私・・・・もう一人の私・・・・・・を出迎えているのだから、怯えるのも無理もない。戸惑うもう一人の私に、私たちは駆け寄って大きなテーブルの椅子に座らせることにした。
 挨拶代わりに、この店の簡潔な説明を始める。私たちはこの状況にすっかり慣れてしまっていることに、人間の順応力の凄さを実感した。
 エプロン姿の私は、瞳をキョロキョロと挙動不審きょどうふしんな動きを見せながら自己紹介を始めた。

「仕事は保母さんやってます。えっと……引くかもしれないけど、女の子と付き合ってます。あの、ぺーちゃんと付き合ってます」

 クラスのマドンナと付き合えたことに私たちは驚いた。確かに、言われてみれば渡辺梨加と付き合っている私の喋り方は恋人に似てか、ややスローモーションに感じる口調であった。
 もっとも私は梨加とはモデル仲間で、セットで「ベリベリ」と呼ばれたくらい相棒のような存在だったが、スクールカースト下位だった米谷理佐(区別をつけるために以後、別世界の私は彼女の苗字とセットで呼ぶことにする)はクラスメイトとだけでそれ以上の付き合いはなかったらしい。感動のあまりか「嘘」を連呼している。

「ねる!? へーすごいじゃん! まさか付き合えるなんて……もちょっと詳しく聞かせてよー」

「えっ? 米谷ってあの、微生物好きな子? ああ、そ、そうなの……」

 この落差。渡辺理佐の反応に、私はせそうになった。
 戸惑いを隠しきれない渡辺理佐に、わかるわかるぞ、と握手を求めたくて仕方ない。

「ぺーちゃんっていいじゃん。美人でモデルで……」

「よくないって!」

 突如、バアンと勢いよくテーブルを叩くもんだから、私たちはビクッと肩を震わせた。シュレティンガーもビックリしたのかフシャーッ、と威嚇し出した。それに澤部が慌てて宥める。

「だって、ぺーちゃんニートだし!」

 ふむ。正直、そこは想定内だ。
 私も、米谷理佐も、驚かない。

「就活250敗でさ。ギネスに載るんじゃねって言われてるんだけど笑えないっつうか」

 それには流石の私たちでも絶句した。噂には聞いていたものの、最後に耳にしたのは確か50敗のはずだったが、5倍になっていたなんて。大手会社はもちろんのこと、中小、零細でさえ厳しいのではと思えてきた。

「祈られすぎて神さまかよって感じ」

 渡辺理佐は冗談めかしつつもはあぁぁ、と重々しく溜息を吐いた。
 笑っていいのか、分かりづらい自虐ネタに私たちは戸惑った。

「そのくせ家事もやらないていうかできないしお腹空いたら「ごはぁ〜ん」って、私はお母さんじゃないっての!」

 役立たずな恋人の愚痴をこぼす渡辺理佐に、米谷理佐はこめかみに指を当てながら「気持ちはむっちゃわかるんやけど」と、口添えした。

「責めてちゃ逆効果な場合もあるって聞いたことがあるんよ、奈々美にやけどな。相手にあえて期待することで相手のモチベを上げて成長させるようにするとか……ピグマリオン効果というんやけど」

 米谷理佐の理屈っぽいアドバイスに私は小突きたくなった。彼女は知らないだろうから仕方ない。
 梨加とはモデルでの付き合いが長いが、ステータスをルックスに全部投入したと言わんばかりの、本当に信じられないくらいポンコツだ。案の定「無理だよ」と諦観じみた答えが来た。

家事・・やったら火事・・が起きる」

「お、おん……」

 今のはダジャレなのだろうか、笑うところなのだろうか、さっきから絶妙なブラックジョークに私たちはリアクションに困りっぱなしだ。

「よ、夜の方はどうなん?」

 渡辺理佐の少しの慰みにでもなれば、と必死な米谷理佐。その辺でやめとけばいいのに。掘れば掘るだけ、梨加のポンコツエピソードが渡辺理佐の口から出るだけに過ぎない。案の定「想像通りだよ」と諦観じみた答えが来た。

「ぺーちゃん、絶対「働いたら負け」って思ってる。だって、全く動かないんだもの。朝は保母さんだけど、夜は板前やってる気分だよほんと」

 マグロ、ってことか。

「そ、そっか」

「最近、白髪生えてさ。もうショックで」

「心中お察しします……」

 手のかかる彼女に苦労が絶えない渡辺理佐に、米谷理佐から出る言葉はもう無い。渡辺理佐の肩にぽんと手を置いて、励ましていると。

 チリン

 出会いの鐘が鳴ったことに、渡辺理佐はギョッとしたが、私たちはもう驚かなかった。

「いらっしゃいませぇー!」

「いらっしゃい」

 相変わらず無愛想な土田と、頰に引っ掻かれた跡ができていた澤部の二人が、慣れたように別世界からの訪問者を出迎えた。

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