Branch<中>

 ズシン、ズシン……とフロア中が揺れた。地震と思ったが、違う。とんでもない足音と共に、お店全体が揺れているのだ。
 私たちは恐れながら、ゆっくりと来客のほうに目を向けた。
 我々の目に映った光景は、想像を絶するものだった。マシュマロマンを彷彿させる、デラックス––––その言葉ほど相応しいものはない。
 同じ私とは思いたくないが、目元といい口元といい顔のパーツは紛れもなく私だった。私たちのスタイルに多少の差はあれど、太っている私はいないし、そもそも太ったこともなかった。元モデルの私からすると、目眩を起こしそうになる程、太っていた。ぽっちゃりではない、デブの域だ。もはや豚だ。

 デブな私の進行の邪魔にならないよう、私たちは左右に道を空けた。過ぎていく巨体から湯気が立っているのは気のせいだろうか。
 デブの私は2人用のソファに腰掛けた。重量に耐えきれず、ミシッと苦しそうな音を立てた。
 既に汗塗れの顔を、首元に巻いていたタオルで拭いながら大きく深呼吸をした。
 Tシャツが全方位に引っ張られてるせいで、プリントされているスポンジボブくんがブサイクな感じになっている。なんとなく、デブから止め処なく流れる汗水を吸い取ったせいで膨らんでるように見えてしまった。ともかく、せっかくの可愛いキャラがお粗末だ。
 私たちはというと、ソファが破損するんではないか、とハラハラで仕方なかった。

「なんか、飲み物……ありませんか?」

 しかし、笑うとなんだか憎めない感じがした。自分で言うのもあれだが、可愛い子は太ってもやはり可愛いのである。
 澤部さんが申し訳なさそうに「ないんです」と、答えると「えー」と、デブな私は目を丸くして驚きながらも、愛嬌たっぷりの笑顔を見せた。不思議と私たちも自然と笑みがこぼれる。
 おいおい、なんだか可愛く見えてきたぞ。自分に萌えるというのも変な話ではあるが、ヌイグルミやマスコット的な可愛さが彼女にはあった。

「仕事は……んー、働けなくて」

「働けない? やれる仕事はあるのでは? 言い訳にも聞こえるけど」

 辛辣な言葉を容赦なく放つキャリアウーマンの守屋理佐を、志田理佐は押しのけるように身を乗り出しては。

「そんなことよりもさ、コレ誰よ、コレ!」

 小指を立てて、いたずら小僧みたいな顔で訊いた。
 心の中で不良児の私にナイス、と親指を立てた。そうなのだ。我らの関心は恋人。ただそれにあった。

「恋人は長沢菜々子です」

「えっ、なーこ?」

 皆、腑に落ちない様子で首を傾げている。長沢菜々子が恋人であることと私が太っていることとが、結びつかないからだ。
 長沢菜々子といえば、不思議ちゃんだ。それだけの情報しか私は知らない。

「なーこって、大食いだよね。今もたまに回転寿司とかに連れてかれるもん」

 恋人の親友ということで付き合いがあるらしい、渡辺理佐は呆れたように呟いた。付き合いが面倒だ、としか聞こえない。
 もしや、大食いの彼女に付き合っていたがために、ここまでマシュマロマン化したというのか。そう推理すると。

「違うよー」

 私たちの心の内を読まれたように、本人に否定された。長沢理佐は上半分がぐしょ濡れのTシャツをパタパタ扇ぎながら、癒しパワー全開の笑顔で真相を語り始めた。

「なーこ、束縛が激しくてねぇ」

 ほうほう。

「付き合いの最初の頃は、メッセージ来たら5分以内に返事しないと怒られるとかだったんだけど」

 原田理佐と志田理佐が「えー私、既読スルーしまくってんだけど」「ひでぇな、まぁうちもだけど」と、クスクス笑いながら肘でど突きあっている。その様子を渡辺理佐が面白くない顔で見つめていた。

「友達と遊ぶのも全面禁止で、というか、連絡先は家族以外は全部削除されて。外出するときも必ずなーこ同伴で……」

「うわうわ、窒息死する!」

 長沢菜々子は独占欲が強いのだろうか、行き過ぎた束縛があるようだ。しかし、それでもデブとまだ繋がらない。
 原田理佐と志田理佐が息が合ったように「逃げたほうがいいってそれ!」「そだよ! やばいって」と、助言する。新たなコンビ結成の兆しに、渡辺理佐の顔がどんどん曇っていく。女って面倒くさい、と女の私でも思った。
 しかし、「無理だよ。だって逃げられないもん」という、恐怖の返事がきた。

「だって、家中監視カメラが付いてるもん」

 「他人の不幸は蜜の味」だが、蜜の味も感じない笑えないタイプの不幸に、私たちは思わず後退りする。

「そしたらGPSを着けられるようになって、最終的には外出を禁止されて」

 我々はとうとう閉口した。束縛どころか監禁する長沢の歪んだ愛情にドン引きする。それでも、笑顔のまま語るのをやめない長沢理佐。

「閉じこもりながら、彼女と同じご飯の量の生活を送っていたら太っちゃって」

 ようやくデブの理由と結びついた。だが、今となってはそんなことはどうでもよくなっていた。そんなことより。

「付き合う前に気付かなかったの? そういうヤバイ雰囲気とか」

 我々の瞳に好奇心の色は完全に消え失せていた。本気で心配している眼差しだった。

「最初は、『私、理佐にとって一番になりたいの』とか言ってお弁当作ってくれたりとか、イラスト作ってくれたりとか、色々尽くしてくれる可愛い子だったんだよ」

 それは確かに可愛いかもしれない。そう思った矢先。

「でもね、後で知ったことなんだけど。お弁当に『隠し味』を入れてるっていつもアピールしてたけど。なーこの血だったらしいんよね」

 前言撤回。怖い。とにかく怖い。本気で引いている私たちを追い込むように「あ、イラストの絵の具も血を混ぜたんだって」と、要らぬ補足をしてくれた。

「告白される時なんか『私の物にならないなら死んで』って包丁で迫られたから、怖さのあまり付き合っちゃって今に至るかなぁ」

「脅迫かよ」

 志田理佐は、鳥肌が立ったらしい腕をこすりながら言った。

「カラダに私の名前を彫って永遠の愛を誓ったアイツマジ可愛いレベルじゃん」

 それもそれでどうかとは思うが。
 我々の心配を他所に、長沢理佐は喉乾いた、と能天気にカルピス(しかも原液のまま)を瓶ごと飲み出した。流石に苦笑いを浮かべるしかない。「鈴木フグオみたい」と誰かが言ったが、皆スルーする。

「夜も愛が重い感じなん?」

 馬鹿やめろ。誰よりも訊きたくないことを、こいつは訊きやがった。今度こそ流血沙汰に違いない。絶対にエロのエの字なんて一切出てこない。耳を塞ぐ前に答えが返ってきた。

「女体盛りがほとんどだよ」

「にょ、たいもり?」

 私たち全員の目が点になる。

「裸の私の上に食べ物を並べて、なーこが食べるんだよ」

「げぇ、脂つきそうでやだー」

 デリカシーのない志田理佐の発言に「こら、しっ!」と菅井理佐が軽く嗜める。

チリン

「いらっしゃいませー!」

「いらっしゃい」

 ドアベルが鳴ったのを、私たちは「やっとか」と言いたげに、嬉しそうな顔で次の来客を待った。長沢理佐の時間が異様に長く感じた。

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