記念すべき一日目の巻

「お疲れ様でした! いや~お二人とも可愛い。この後、ダンスレッスンだったよね? 大変だとは思うけど、寒くなるからくれぐれも体には気をつけてね!」

「ありがとうございました~!」

 ダンスレッスンの会場まで、ワゴンバスで移動する。多忙な私たちにとって存分にイチャイチャできるこれ以上ないチャンスだった。しかし。茜は真剣な顔でスタッフとやりとりしながらダンスの確認をしている。どうも、声をかけられる雰囲気ではない。

 仕方なく、自分も振り付けの復習に勤しむことにする。……が、全然集中できなかった。私の頭の中を日中茜が支配している。大学生活との両立ゆえ、自分だって振り付けに自信ないのに、頭に全然入らない。

 もしかしすると、嵐山の出来事は夢なのかもしれない。茜に対する想いが増長するあまり、現実と空想の区別が出来なくなってしまい……いやいやそんなわけあるかい、と自分でツッコミを入れる。
 では、こちらが勝手に〝付き合っている〟と思い込んでいる可能性があるかもしれない。

(でも「イエス」って言ったよ? あ、でも……キスはいいよ、という意味かもしれない)

 今朝のニュースで、巷で流行っているらしい「キスフレ」についての特集が流れていたのもあって、そういう疑惑が浮上した途端、急に不安が迫る。
 もんもんとしていたのが嘘のように、そわそわしだす。茜はそんな私を他所に、屈託のない笑顔をスタッフに振りまいている。

 会場に着いた。スタッフは別件の用事で仕事場を向かうことになり、その場でお別れとなった。やっと茜と二人きり。この状況を待ち望んでいたはずなのに、晴れやかな気持ちはすっかりよどんでいた。うじうじ悩んだままスタジオへと向かう。と思いきや、入る前に茜がぐいっと引っ張って更衣室に引きずり込まれた。

ぺちんっ

 軽く私の頰が叩かれた。更衣室に引きずり込んで、いきなりのビンタ、そして壁ドンである。うじうじ考えていたことが吹き飛ぶ。
 茜の真剣な眼差しが、ちょっとそこになおりなさいとさとされられているようで、私も背筋を伸ばす。

「友香。私のこと見すぎ」

「あっ、はい」

「仕事なんだから、しっかりしてよ。も~」

 飼い主に怒られた犬のように、しょんぼりとうつむいた。そうなのだ。私たちはアイドルであり、それはもう立派な「職種」なのだ。

「あのね、今日の撮影のインタビューで『欅坂に貢献できる人材になりたい』と答えたの」

 茜は目を伏せながら呟いた。

「これから忙しくなると思うし、多分そろそろ次のシングルの発表もくるだろうしさ。大事な時期じゃん? ちゃんとしなきゃって思って」

 私は、恋人が出来て浮かれていた自分を恥じた。メンバーたちに合わせる顔がない。

「私、ずっと浮かれてて……」

「うん、かなり浮かれてたね」

「で、茜がいつもと違ったから。茜って大人だし、経験も豊富そうだから。飽きられたのかなって……」

「なんだ、そんなこと考えてたの?」

 茜は呆れたように笑った。

「もしかしたら、嵐山のデートは夢だったのかなって」

「なにそれ、夢ってことにしてほしいの?」

 澄ましたような表情で聞いてきた彼女に、慌てて顔をふるふると横に振る。彼女は無表情な顔を繕っているようだが、自信の色が広がっていくのが隠し切れていない。

「私に言ったんでしょ。大事にします、って。それを夢ってことにするとか、そんな無責任なこと言わないでよ」

 首をこくこくと縦に降る。

「まあ、私も……友香を取られたくなくて必死に仕掛けたりしたからアレだけど」

 茜はバツ悪そうに唇を突き出した。

(だからそれキスしたくな……じゃなくて!)

「ううう、茜大人ぁ……私、もう駄目。年長なのに、ポンコツすぎて嫌になっちゃう」

 不安が振り払われたと同時に自己嫌悪で涙が溢れる。

「もーほんとネガティブすぎ! そんなとこも友香らしくてほっとけないけど」

「ううう、茜イケメンすぎて私の立場がなくなっちゃう……」

 茜によしよし、と慰められてもなお、私は女々しくめそめそと泣いていた。全く年長の面目丸潰れである。

「反省時間はもうおしまいっ」

 茜は私の両肩をガシッと掴むと、くるりとひるがえった。今度は茜が背を壁につく形となった。きょとんとしている私に苦笑いして、それから目を閉じて「ん」と口を差し出してきた。
 今度こそ、『手を繋いで帰ろうか』の続きを果たす時が来た。鼻がちょん、と当たった。守屋の呼吸がかかる。

 私の頭の中で、結婚式のドレスを着ている私、新妻・茜のために働きまくるリーウーマンな私、本を片手に妻が淹れたコーヒーを片手にメガネ姿の幸せそうな私––––未来の私たち(※妄想)三人が守護霊とばかりに私にエールを送っている。

いよいよですね! 老婆心ながら、最初が肝心ですよ!

いい? 口付けは優しくするんですよ、間違っても舌を入れてはなりませんよ。

いつまで将来の妻を待たせるつもりですか? さっさとなさい。

(ゆるがせにはしません。誠心込めて、いざ––––)

「ゆっかねん!」

 反射的に離れた。未来の私たち三人が吹き飛ぶ。

「え、え、え? もしかしてお邪魔でした?」

 尾関が私と茜の顔を、交互に高速で目配る。

「こら。邪魔者はさっさと退散するの」

 上村はあまり驚いていない様子だった。尾関の腕を引っ張りながら、退室しようとしている二人の背中に向けて慌てて弁明する。

「違う、違くて。その!」

 我ながら見事なほど弁明になっていなかった。

「『手を繋いで帰ろうか』の練習してただけだよ」

 キョドる私に茜のフォローが入った。やっぱり面目丸潰れである。上村と尾関は「なぁんだ」「わかってるよ」と笑って返事した。

(……怖い時の笑顔に感じたけど、気のせい気のせい)

「友香! 勘違いさせちゃうくらい、私たちの演技がうまかったって!」

 余裕な茜に私は心の中でため息をついた

 お父様。お母様。

 私は本当に半人前で情けない気持ちです。年長者らしく、欅坂にとっても頼もしい存在になれるよう日々精進する所存です。
 あと、女って生き物は本当にすごいですよね。「女は生まれながらにして女優である」という格言がありますが、まさにその通りだと茜を見て思いました……。

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