Branch<上>

 それから数日後、7月26日。華の金曜日。モデル時代の元同僚たちが私のために誕生パーティを開いてくれた。

「彼女が元アイドルとか、もうホント超うらやましー!」

 当時は良きライバルでもあり気心が知れた仲でもあった彼女たちは、私が女性と付き合っていることを、今このようにして純粋に祝福してくれている。なのに。私は内心、複雑な気持ちながらも笑顔で答えた。

「そんな大したことないよ」

 空気を壊したくなくて、愛想笑いを浮かべる自分のことが気持ち悪くて仕方ない。

「アイドルグループ卒業の際に、女と付き合ってることを告白したじゃん? あれ感動したわー理佐、マジ愛されてんじゃん。むかつくわぁ」

 ねるが電撃アイドル卒業&芸能引退の際に世間に向けて告白したことで、私たちのお忍び関係に終止符を打った。賛否両論を呼んだが、当時の私は号泣しながらテレビ越しに口づけしたものだ。今となっては片腹痛い思い出。
 LINEも元同級生からのお祝いメッセージで通知一覧が半端ないことになっていた。

「我ら誇りのビッグカップル!」

「これからも末長く幸せに!(笑)」

「結婚報告待ってまーす」

 我が校の誇りのビッグカップル。
 トップアイドルの彼女。
 アイドルが覚悟して告白した私の存在。

 かなり、とても、堪える。
 ねるへの愚痴や不満をこぼせば「あんなに愛されているのにね」「欲張りすぎない?」なんて私の方が悪いように責められかねない。
 美化されすぎたカップル像への反動は強くなる一方ばかり。
 蓋を開けると、清楚で人気のアイドルは実は、浮気しまくりの節操なし疑惑。その恋人である、かつて一世を風靡ふうびしていたモデルは実は、過去の思い出に逃げて運命の相手かもしれなかった人と架空の生活を空想している哀れな女。美しくもなにもない生々しいカップル。それがビッグカップルの実態だ。

 じわじわと、女としての旬を逃した恨みが募ってくる。しゃあない次行こう、なんて吹っ切れなかった。
 恋人のねるは、青春時代を多忙な芸能生活に費やした分、現在は大学院生活を謳歌おうかしている。もちろん、難関大学。幼い頃から海外経験のあるグローバルな彼女は海外に強い興味があるらしく、外交官を目指して日々勉強の身。いつだって、どこへでも、キラキラ。
 かたや自分は、売れ行きの怪しいファッションブランドデザイナー。職なし・家なし・連れ人なし、というわけではないが、どうも放蕩ほうとうしているような気がして仕方なかった。もがけばもがくほど、自分に失望するばかり。

 普段あまり飲まない私は急激に襲いかかってきた不安と寂しさを紛らわすように、ワイングラスを一気に空けた。一度も飲んだことがないウィスキーを飲んだりもした。アルコール度数の高さにせたが意地でも飲む。この際、味なんてどうでもよかった。

「あー、私も浮気しとくんだった!」

 と、叫びたくなるのを飲みこむように、グイッとアルコールの液体を喉に流し込む。

一杯、二杯、三杯––––。

 酔ってきて意識が波のように揺らぐ中、素っ裸の本心が揺らぎなく姿を表した。そいつは、叫んでいる。

 やっぱり、嫌いになれない。たとえ、他に男がいたとしても。
 好き。愛してる。
 どうして、それでも、好きで仕方ないのか。
 私にはわからない。
 理屈抜きで好きだ。幸せか不幸かと訊かれば、幸せだと思う。
 それでも、どこか満たされないこの想い。
 どうしたらよいの。もうわからない。

 想っていたら丁度、ねるから「0時前には帰ってきてね!」というメッセージがきた。私が考えていることはお見通しだよ、といわんばかりの微笑んだ憎たらしい顔が浮かぶ。
 ねるの私からは離れられないという自信には腹立つし、自分のチョロさ加減にも嫌になる。
 ねるは私を嫌いにさせないし、離さないし、どんどん好きにさせるから。いつも私だけが苦しい想いをする。
 いっそのことなら私の中からねるの存在を消してしまいたい––––。

 どうか、全てがタヌキに化かされて長い夢をみていただけ、なんてことが起きないかなあ。

「彼女寂しがってんじゃん。リア充なこいつのために、そろそろお開きにしますか!」

 そんないらん配慮、やめろ。

「やだぁ、帰りたくなぁい!」

 子供みたいに駄々こねてみたが、結局、帰らせられた。
 ふらつく私を、タクシーに乗せて家までの分まで支払ってくれた。ありがたいけど、ありがたくない。
 ゆらゆらと焦点が定まらない目を車窓の向こうに向ける。店はほとんど閉まっており、一定間隔で過ぎる街灯の冷たい明かりが眠気をさまたげてくる。
 突然、タイヤが激しくきしる音がした。夜の静寂しじまを破るほどの激しい音だった。前につんのめる。胸に衝撃が走る。


 ・
 ・
 ・
 私は死んだ。

 ––––というのは冗談で、「クソ猫が!」と酷く動転した運転手の怒声がした。バックミラーからのぞく顔は顔面蒼白であった。車体は人気のない道路の真ん中で停まっている。魂消たまげたが、とにかく、私はまだ生きてるようだ。
 慌てて降りて確認すると、熱帯夜に浮かぶ月の下で雪白の毛をした猫が佇んでいる。怪我はない。すんでのところで命拾いしたにもかかわらず、悠然と手を舐めている。
 人の気も知らずにミャアと可愛らしい声で鳴いたと思ったら、脱兎のごとく逃げ出した。私は思わず猫の後を追いかけた。後ろでおーい、と私を止める運転手の声がしたが私は振り返らなかった。

「待ってよぉ、白猫ちゃあん」

 寝静まった夜中できゃはは、とやかましい笑いを独りであげながら目も当てられないレベルの醜い走り方で白猫を追いかける片靴の私。はたから見たら通報ものだ。
 白猫は恐怖の泥酔女から逃げているというわけでもなく、むしろ待ってくれているのだ。待っては、走って、待つ、の繰り返し。まるで私をどこかへ導くように。なんだか『不思議な国のアリス』みたいだな、と思いつつそのまま白猫についていく。私の胸は、秘密基地を探し出す子供のようにワクワクで満ち溢れていた。

 夢の中で感じた暖かい琥珀こはく色の灯りを、感じた。白猫はその灯りの元で待っていた。招き猫みたいに。千鳥足で灯りの元へふらりと足を進める。
 間違いない。いつもの「closed」の札が見当たらない。
 私は木製のドアノブに手をかけた。

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