ねると一緒に、本日の夜ご飯を買いにスーパーマーケットへと向かう。
私たちが住むこの仕合町は一応、東京にある。一応と付け加えたのは、都会というわけでもなく、ちょこっと田舎な部分もあるから。昭和と平成が混ざり合ったノスタルジーな雰囲気が大変気に入っている。
今や貴重な路面電車がここでは未だに走っており、私も普段の交通手段として使用している。特に春がお勧めだ。桜並木の中を走っていく景色は情緒が溢れて良い。
そんな仕合町には七不思議がある。
ひとつは、猫の数がとてつもなく多いということ。三毛猫の雄を見かけたという噂もあるとか。
ふたつ。商店街にある果物屋は見たことのないような果物ばかり揃えている。別名、下町のアマゾン。
みっつ。人通りの少ない場所に構えている、こぢんまりとしたボクシングジム。そこから世界王者になった伝説の選手がいるらしい。しかも、超イケメンだとか。
よっつ。古めかしいゲームセンターに、アメリカを騒がせた幻のアーケード筺体があるとかないとか。ポリビアスっていったような。
いつつ。いつもそこらへんをうろついている卑猥なTシャツを身につけたおばさんがいる。尾股おめ子という名らしい。おかしな名前だ。
むっつは……忘れた。そして、なによりも。
ななつ。駅に通じる道を行くたびに、必ず目にするパブと思わしき店。西洋のような古びた木造の建造物で、板と板との合わせ目から草が伸び、あちこち蔦や苔で覆われている。
入口の上にはロートアイアン看板が掲げており、「Branch」のアンティークな感じのロゴが入っている。
屋根にはブロッコリーのような大きな欅の木が生えているのが特徴的で、まるで童話の世界に出てきそうな外見をしている。
私は、この店が開いているところを見たことが、ない。
ファンタジックな店のドアには、常に「closed」の札がぶら下げられていた。予約制のお店だろうか。気になってネットで調べたことがあったが、該当するページは出てこなかった。中に人が住んでいるのか疑わしいレベルなのに、潰れないのが不思議でならない。
「ブランチってさ、料理って意味だよね?」
私の腕を組んでいるねるになんとなく尋ねる。
「スペルが違う」
ねるにそう指摘された。彼女が喋っている口を見て、浮気相手のをしゃぶってるんかな、なんてかなりどうでもいいことを考えてしまった。
「“a”が“u”になれば料理って意味になるけど」
ねるは宙にひらひらと、英単語を書きながら続けた。
「これは「枝」って意味だよ」
私は眉を顰めた。確かに、言われてみれば看板のロゴは枝だ。
「変なの」
“枝”がタイトルの店だなんて、やはり潰れないほうが不思議だ。
スーパーマーケットの駐車場で止めているクランクの車を見かけただけで、キュンと胸がときめいてしまった。
そういえば。あの子、尾関は高校を卒業した後は大学に進学し、本人の長年の夢であった車のディラーとしてバリバリ働いているんだった。
最近、SNSで尾関のプロフィールが更新されたのを思い出した。髪色はすっかり茶髪になっており、幼顔の残る丸顔は痩せて引き締まっている。乱杭歯とまではいかなくても、やや愛嬌の感じる歯並びはいつのまにか矯正されていたようで、綺麗に整った歯を見せて笑っている。
学校の廊下でブサイクな走り方で私を追いかけた尾関が、今となっては嘘みたいだ。
もうあの少女はいない。もう女性って感じ。
もしも、尾関と付き合ったら。
今更空想したってどうしようもないことなのに空想してしまうのは、ねるという底なし沼から脱却したい己の身勝手な都合に違いなかった。
私の脳みそには尾関と私が幸せそうに暮らしている世界が存在している。こうして現実逃避を繰り返している。
上の空のまま、買い物を続けた。カレーを作るはずなのに、シチューの素をカゴに入れたり、カレールーではなくレトルトを入れたり、と珍プレーを連発していたら、ねるに「今朝のこと思い出してたんでしょ、すけべー」なんて言われた。
残念、浮気疑惑があるアンタではなく、尾関のことだよ、ばぁか。なんて、口が裂けても言えるはずがなく「うるさい」と小突いた。
買い物を済ませた帰りに、例の店を確認してもやはり「closed」状態だった。