茜、ベタベタしすぎませんか……?
後ろから突然抱きしめられた。というより、ホールドされているといった感じか。離れようとしても腕の力を弛まないのだからてっきり、尾関あたりにプロレスごっこを持ちかけられたのだと私は思った。
プロレスごっこに付き合うことにした私は腕を振りほどくように体を揺すっていると、心地よいフレグランスの香りが鼻腔を通り抜けた。
プロレスラーの正体が好きな人だと分かると心臓が口から飛び出そうになった。
正直、ここ最近の茜の過度なボディタッチにだじろがざるをえないのである。元々、人に抱きついたりくっついたりするのが好きな人懐っこい子だが、フタナリたちにボディタッチしてくるのは私だけだった。素直な感想を述べると、ちょっとした優越感を覚えるし、すごく嬉しい。
にやけた顔にならないよう、例の皇太子夫人スマイルを浮かばせる。
「差し入れでーす」
スタッフの声のお陰で私は「恋する女の子」から「欅グループの年長者」へ引き戻される。
クーラーボックスを重たそうに運んでいるスタッフにメンバーたちが集まって手伝いはじめた。思いやり、というよりは、下心があってのことだろう。
メンバーより幾つか年上の女性スタッフはしんどそうに額の汗を拭って、クーラーボックスを開けた。溢れ出た白い冷気が汗ばんでいるメンバーたちの顔を覆う。皆の瞳が期待で輝く。
スタッフの「アイスです」の声を合図に、皆が取り合いを開始した。
「やったー!」
「アイスー!」
「私の!」
「よこせ!」
芸能界に入ってから早くも1年が過ぎようとしている。皆、大分垢抜けてきたが、アイス争奪戦に奮闘する年相応な姿を見て年長者の私は微笑ましくなり、安心を覚えた。しかし、段々、皆には申し訳ないが噂に聞くセールのおばさん達に見えてきてしまった。
私と同じことを考えていたのか「冬優花おばさん、似合いすぎだよ~」と原田が言った。「うるさい小学生」と冬優花は慣れたように返す。
「ねーアイスだって。ハーゲンダッツあるかな」
ひたっ
茜が私をホールドしたままの状態で頰を合わせてきた。水分たっぷりのもちもちした肌感に私は急に緊張してしまう。
(おおぅ、茜の潤いたっぷりな肌。すべすべ、もちもち……)
せっかく意識をアイスに逸らせたのに、すぐ茜に戻ってしまった。さすが、若くてピチピチした女子の肌の魔力は凄まじい。
(ああ、このまま同化しちゃいたい)
美容番長の称号らしく、完璧に手入れが行き届いているのがよくわかる。本人は毛穴詰まりが悩みだと言っているが、はっきり言って嫌味にしか聞こえない。
私も芸能界の一人として美容に手を抜いているわけではない。毎日、美白有効成分を含んだ美容ケアをするという、涙ぐましい努力を続けている。しかし、茜の肌は段違いだった。まず、ハリが違う。若さには勝てない、と降参するしかなかった。
色白美肌の茜と並ぶと、私の馬術で日焼けた色黒気味の肌が余計目立つばかり。
(これが若さ……!)
私の肌を押し返すほどの若く弾力のある肌からは人工的ではない、花のミストのような香りが仄かにした。さすが、意識が違う。オーガニック化粧品一択と、美容成分にまでこだわり抜く茜には敵わない。
そんな彼女の鞄の中身は常に美容グッズしかなかった。何事にも手を抜かない、美容家というよりは努力家なところが愛おしい。
(いけないいけない、私の高ぶる熱が伝わってしまう。名残惜しいけど……)
私はそっと離れた。あくまでナチュラルに。
離れる際に、私の頰に吸い付くように茜の柔らかい肌が伸びる、凄まじい吸着力をお見舞いされて私の乙女心は見事に粉砕された。
「友香と茜、大人だね~」
「ゆっかねんカップルどうぞ」
「さすが金持ち喧嘩せず、だねぇ」
アイスを持ったメンバーたちがぞろぞろと自分の席へと戻り始める。カップル扱いされていたことには、顔が緩んでしまわないように奥歯を噛んで表情を引き締めた。
茜と目を合わせて、待ちに待ったクーラーボックスの中を覗き込む。どうやら2個持っていく盗みを働いたメンバーがいたらしい。クーラーボックスの中はあと残り1個だけとなっていた。爽のバニラ味だった。
「茜、あげるよ」
紳士の嗜み、レディーファーストの精神だ。
「んーじゃあお言葉に甘えて」
今の「甘えて」が、いかにも語尾にハートがついてるような、小悪魔っぽい言い方だった。甘ったるいほどの可愛さに胃もたれを起こしそうになる。
アイスを取る際も私を離さなかった。それから、テーブルに向かう。それでも私を離さない。私を引きずるように連れ回しているのが、まるで飼い主に引かれている犬のようだ。悪くない。
椅子に座ったところでやっと私から離れた。私の体にまだ茜の体温が残っているのが切なくなってきた。
恋慕相手は私の想いなど全く気付いていない様子で蓋を開けて、大胆にアイスにスプーンを深く挿した。スプーンがミシッといったのは気のせいか。女子力を頑張っている彼女の隠しきれていない男前なところを見ると私は不思議と嬉しくなるのであった。
「はい、あーん」
茜が笑顔で大量のアイスをのっけたスプーンを差し出している。周りの視線が痛い。不幸にもフタナリ陣に囲まれていた。4人の同志たち全員がニヤニヤしながらこちらを見ている。羨望、それか、揶揄の視線が痛い。私はできるだけ下心を見せないよう、紳士を装う。
「あ、あーん……」
照れながらアイスを食べる。ひんやりとした塊が口に染みる。大きかったせいか、キーンと頭のこめかみが痛くなった。幸せだった。
私の口から離れたスプーンには食べ損なったアイスがすり減った形で残っていた。そのスプーンが方向転換して、あーんと広げている茜の口へと動く。
私は間抜けにも、呆然と舐め残したアイスの行方を見守るしかなかった。
私の唾液の名残で先端に染みができている先端をぱくりと口に含み、残っているアイスを舐めとったのだ。
(そ、そんな。舐めとるなんて。私が舐めた木製のスプーンをち、躊躇なく)
同時にある言葉が頭をよぎり、思いとどまる。
友香だと、何故か警戒心を抱かないんだよね!––––
むしろ、私のことを意識していないからこそ成せることなのだろうと私の中で結論が出て、落ち込んだ。私は自分でも気持ち悪いと思うくらい意識しまくっているのに。
「間接ベロチュー!」
「羨ま~」
案の定、尾関と織田が茶化してきた。こういう青春なノリ、私は嫌いではなかった。むしろ、憧れていた。「羨ましいだろう」とガッツポーズを見せたいところだが、好きな人の手前、私は純情少年を演じた。
「やめてくださいよ~、もう」
私の反応がかえってお調子者の二人に火をつけたのか、手でハートマークを作ってさらに茶化してきた。そんな中で平手と渡邉、二人の様子がおかしいことに、妙な胸騒ぎを感じた。
平手と視線がぶつかると、気まずそうに視線を逸らしたではないか。すると、渡邉があくまでも冷静な様子で私の股間を指差した。手が嫌な汗で滲む。
「友香、股間」
全身からさぁっと音を立てて血の気が引いていく。私は心の中で「紳士を装ったのに、そんな」と嘆いた。
「え……えっ、えぇっ!?」
(神様!)
大きく目玉をひんむいて、勢いよく股間の様子を見る。しかし、一見、普通の女の子と変わらない姿をしていた。
「嘘だよ!」
ドッと笑いが起きた。フタナリ陣は爆笑している。やられた。ドッキリを仕掛けられたのだ。
平手と渡邉が「いえーい!」とハイタッチすると、斎藤が「も~最低ね」と女子たちに同調を求めている。
肝心の茜だが、恥じらう様子でもなく、ふふふっと余裕のある笑みをこぼしているだけだった。慣れている反応に、茜の恋愛経験値を垣間見た気がしてちょっぴり凹んだ。過去は気にする主義ではないが、どうも心がもやもやしてしまう。