Mステ出演後、興奮が冷めやらずに帰宅すると、愛猫のトムが玄関で私を出迎えていた。丸みを帯びた身体を抱き上げると、折れ耳をぴくりと持ち上げて、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
「おかえり、Mステ見たわよ。大変素晴らしかったわ」
トムを可愛がっている私に優しい言葉をかけてきた。お母様だ。
「お母様! ありがとう。お腹空いちゃいました」
お母様はあらあらと呟くと「腕をふるったご飯ならできてるわよ」と鼻歌混じりに軽い足取りで先に食堂へ向かった。お茶目なお母様について食堂へ向かうと、腕にふるった料理がテーブルに並べられていた。
私の席に着くと、トムが行儀よく降りる。目の前には父がにこやかに両手を組んで、私を待ってくれていた。
お父様は「お疲れ様」と言うと、目尻に笑い皺を寄せて笑みを浮かべた。つられて思わず笑みを返してしまう。
「お父様」
「お祝いだ、さぁ」
祝酒のワインが私の元のワイングラスに注がれる。ワインボトルを持った手に、結婚指輪がキラリと光った。
「ありがとうございます」
軽くお辞儀をすると、お父様はにこっと微笑んで返事した。
「貴方、Mステ素晴らしかったわよね。自慢の娘の出演を祝って」
Mステの余韻が残っているらしい、お母様は浮き浮きとグラスを持ち上げた。そんな妻を見て「ははっ」と笑って、父もグラスを持ち上げた。私も続けて持ち上げる。
「乾杯!」
ワインを喉に通す。果実の香りと程よい渋みが喉を潤す。勝利の美酒の旨さに眉が潜む。
自慢の手料理を美味しく食べている私に、お父様が肉を切りながら話しかけてきた。
「アイドル活動、順調そうでなにより」
「いえ、大変なこともたくさん……」
思わず、お父様から目をそらして答える。自分の身体のこともあるし、とは流石に言い出せなかった。
「楽な仕事なんてないんだから。辛いこともあるだろうけど。その時はたくさん悩んで悩みなさい」
優しいけど、どこか貫禄を感じさせる言葉が贈られる。「はい」と返事すると、お父様はフッと笑った。
「最近、大きな悩み事があるようだね?」
お父様が見据えるようにして私を見た。お父様はいつも私の心を見透かす。部活や、人間関係、恋愛など、なにか悩んでいることがあるとすぐに当ててくるのだ。「あっ、まぁ、そうですね」と分かりやすいような返事をしてしまった。
「ま、干渉はしないよ。自分で考えて動きなさい」
「はい……」
今度は力なく返事してしまった。なんだか申し訳なくなってしまい、例のことを言い出そうか、悶々しながら食事を口に運ぶ。せっかくのご馳走が美味しくなく感じてしまった。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです。……疲れたので、もう寝ます」
これ以上、顔を合わせられなくなった私は逃げるように親に挨拶する。あらあらと呟くお母様。
「そうか。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」と、答えた。心の中では「ごめんなさい」と、答えていた。踵を返し、自部屋に向かう。
「友香」
食堂のドアに手を掛けたところで呼び止められた。
「僕は、アイドルについては詳しくない。色々あると思う」
真剣な眼差しでこちらを見つめたあと、目元に深い笑い皺を刻んで微笑んできた。
「僕はいつでも、友香の味方だ」
ずきん、と心が痛む。
「ありがとうございます。おやすみなさい」
自部屋に戻ると、トムが「遅い」と言わんばかりに不貞腐れた様子で待っていた。
「ねぇ、トム」
トムを持ち上げる。少し太った肉が二重あごを作っていた。「なにをするんだ」と不貞腐れているらしかったトムだったが、気にせず続けた。
「初めて、親に隠し事しちゃった」
懺悔代わりにトムに語りかける。トムは「なんのことだ」とばかりに目を瞬かせた。
「私、フタナリになっちゃったんだよ。トムと同じ、男に、半分なっちゃったんだよ……」
親に対する罪悪感から、涙が溢れてくる。
私、欅坂46にいる資格なんてないのかな。
年少の平手も私と一緒なのに、センターという重責を抱えて、ちゃんと前を向いている。
それに引き換え、私はこうしてうじうじしている。
年長組なのに頼りなくて、親にも言えない弱い自分が嫌になる。
でも、辞めたら––––。
ある子の顔が浮かんだ。
ペシッ
「おぉっ!?」
トムに顔をビンタされる。「しっかりしろ」と言いたげな顔だった。
「ふふっ、そうだね。しゃんとしなきゃ、申し分が立たないよね。メンバーの皆にも、親にも」
そして、何故、さきほど茜の顔が真っ先に思い浮かんだのだろうか。トムをぎゅっと抱きしめて、軽い焦りのような、胸のときめきを聞かせる。
お父様、お母様。
私は菅井一家の恥かもしれません。でも、いずれは誇りの子になるよう努めます。今だけ、隠し事をさせてください––––