今頃、教室はきっと気まずいムードがただよっているに違いない。やってしまった、と思ったが体は正直だ。我慢と寂しさの限界だった。
 廊下を足早あしばやで歩く私の後ろから慌ただしい足音が近付いてくる。走るのが遅いのが窺える愛おしい足音であった。

「友梨奈ちゃん、待って」

 教室からだいぶ離れたところでようやく梨加ちゃんに捕まり、私は足を止めた。

「織田奈那、話面白いもんね。梨加ちゃん、すごく嬉しそうだった。良かったね」

 私は後ろを振り返らないまま、嫌味ったらしく言う。我ながら子供じみているなと思う。私だって本当はスマートな返しがしたいが、恋愛初心者の私にそんな余裕があるわけがなかった。

「あのさ、私のこと嫌いになった?」

 自分でも、あまりにも子供すぎて呆れるようなことを口走ってしまった。嗚呼ああ、いつか私は今日のことを思い出して恥ずかしくなるのだろう。悔いたが、勝手に口が動いていた。
 言葉を受けた梨加ちゃんの困り顔にじわじわと笑みが広がっていったかと思うと、申し訳なさそうに「からあげ」とかいうヌイグルミで顔を隠して、広い肩を震わせながら笑いをこらえていた。

「……なにがおかしいの?」

 カッと恥ずかしさを覚えた私はわずかに語気ごきを強めてくと、いつもの能天気な笑顔がからあげからひょこっと現れた。

「友梨奈ちゃん……妬いてる?」

 図星だった。そりゃ、こんなかりやすい反応してたら誰だって気付くはずだ。口をとがらせながら小さくうなずく。するといきなり、飛びつくようにして抱きつかれた。私は思わずよろめきながら、しっかりと梨加ちゃんの身体を受け止める。

「友梨奈ちゃん、可愛い! 女子高生みたい!」

 ふわっと好きな香りに包まれる。梨加ちゃんの香りには鎮静ちんせい効果があるのだろうか。悔しいことに、いくら腹を立てたところで、梨加ちゃんの笑顔を見るだけでキュンと単純にときめかせるのであった。私の中で苛立ちが消えていく。

(まだ中学生なんだけど……)

 梨加ちゃんは細長い指で私の頭を撫ではじめた。まるで不貞腐ふてくされた子供をあやすように。

「よしよし」

 汚れを感じさせない、天使のような笑顔。それを私が見上げる形になってしまうのもまた悔しくなる。
 彼女は時として、お姉ちゃんなのか、幼稚なのかよくわからなくなる。そんな掴みどころのない彼女に私は惹かれたのだ。

「なんだよ」

 反抗的な言葉に反して顔がニヤけているのが自分でもわかって、腹が立ってくる。

(あ~ほんっとキモい。自分)

「また子供扱いしてる」

「ごめんね、だって可愛くて……」

「うるさい」

 近くにあった優しい表情がフッと消えたかと思うと、りんとした表情で見つめられ、別人に見つめられる錯覚さっかくを覚えた。
 いつもふわふわしてて常ににっこりしているお姉ちゃんのそのような顔はなかなか目にかかれないだけに、ギャップを感じさせる。胸がキュンとなった私は何回、恋に落ちれば気がすむのだろうかと思った。

「好き。友梨奈ちゃん、好きだよ」

「う、そだ」

 もうねてはいない。突拍子もない告白に思わず照れてしまってない返答をしてしまったのだ。
 おでこに柔らかい感触がした。梨加ちゃんは軽く私のおでこにキスを投げていた。

「これで許して」

 彼女は顔を赤らめたのか、見られないように私の肩にうずめた。

「外ではあまり、その、私たちの関係持ち込みたくないというか……で、でも。二人きりの時は、その……」

 私は早鐘のように打つ心臓の鼓動を感じながら彼女の次の言葉を待つ。大げさだけど、窒息死しそうだった。

「もっと甘えていいんだよ……?」

 我慢の糸が切れた私は「んもおおお」と、素直に梨加ちゃんに抱きついた。惚れた弱みがまさった。

「織田のどこがいいんだよー、あんな変態!」

 梨加ちゃんはくすりと笑って「んもぅ」と、なだめるように私の頭を撫でた。「また子供扱いしてる」と言おうとしたが、心地よくて今だけは年下らしく甘えていることにした。

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