平手はレッスン場の壁にもたれかけながら、ぼーっと放心状態だった。と思いきや、いきなり恥じらいだしたり、開きっぱなしの口からよだれが垂らしそうになるのを慌てて拭ったりしている。
ご覧ください。あれが欅坂46のセンター様です。
最近、平手の様子がおかしい。レッスンでも、ボイストレーニングでも、ご飯でも、なにやっても上の空だった。いや、今までがピリピリしすぎたのかもしれない。
(けど、こんな間抜けな顔をしていたっけ)
平手に「おーい」と呼ぶも、反応はない。やれやれとため息ついて、わざと足音を立てて平手に歩み寄る。
「ひ・ら・てッ!」
耳元でハッキリと呼ぶと、平手はびっくりして顔をあげた。
「ほへっ!?」
間抜けな声を漏らした平手が、子動物に見えて私は勝手に萌えてしまった。
(完全に息抜いてんなぁ)
「もう、さっきからボーッとしすぎ! なにか考えごとでも?」
「いや、全然……えへへっ」
最近、よっぽど良いことがあったらしい。いきなり照れ出しておる。
「ヘラヘラしちゃって、気持ち悪~い」
顔を歪めて、引いてますよポーズを大袈裟に見せつける。
「えー、ひどーい」
鋭い眼差しとは縁遠いくらい、ふにゃふにゃとしている。せっかく生えた角が取れたかのように。
「サイレント・マジョリティ」がリリースされてから約二ヶ月が経つ。そろそろ2ndシングルの選抜発表が来てもおかしくない頃だ。早く、次のシングルが来て欲しかった。平手の鋭い瞳が恋しかった。
(センター様がしゃんとしないで、どうするのよ。そのまま、その座を私が奪っちゃうゾ)
「あっ!」
平手がいきなり立ち上がると、まっしぐらに走って私の横を通り過ぎていった。彼女の後を目で追うと、梨加ちゃんに抱きついていた。
「わっ! ゆ、友梨奈ちゃん。びっくりした……」
「今日も可愛い」
弾ける笑顔を梨加ちゃんに向け、甘えている。いつになく、べったりとくっついていた。
加入当初、平手は最年少ということもあって誰とも馴染めず、同郷の鈴本と一緒にいるくらいで基本的には一人でいた。そして、センターという重責を任せられたことによって孤立感を深めた。そんな彼女のことを思えば、年上のメンバーに甘えられる環境ができたのはいいことのはずだ。それなのに––––。
胸奥でカッと火が灯されたように熱くなる。
嫉妬だった。かつて、下積み時代のライバルが、私の“パパ”と寝たということを知った時に抱いた感情と酷似していた。
平手の一番の理解者は自分だと信じて疑わなかった。実際、平手の魅力に真っ先に気付いたのは私なのだ。一緒にペアとして仕事することも他のメンバーとは段違いに多い。平手をよく見ているのは、この私なのに––––。
最近の平手はセンターの自覚を持ち始めたのか、それとも、余裕があまりないのか。常に覇気に満ちた瞳をするようになった。しかし、全く接点を感じない梨加ちゃんには少年のような瞳を向けるのだ。まるで、恋人だけに心を許してるような感じがして面白くなかった。
(なによ……私じゃあ役不足ってこと?)
私は平手に恨めしそうな視線を投げたが、とても幸せそうに笑っている彼女の顔を視界に収めただけだった。