蠱惑

「えっ!」

更衣室の椅子に腰掛けて本を読んでいる姿があった。ねるだった。
本から顔をあげる前に、慌てて大事な部分をバスタオルで隠す。

「ちょっ……なんでいるの!」

「シャワー浴びようとしたら鍵かかってたから、スペアキー借りて開けちゃった!」

ねるは驚いたような様子も、悪びれる様子もなく、笑顔でスペアキーを揺らしている。そのスペアキーを、ねるの横にたたんであるバスタオルの上に、本と一緒に置いた。それから、ゆっくりと私に距離を詰めてきた。私の背中がロッカーにつくと、私を挟む形で両手をついてきた。
「あれ、これって逃げられない環境では」と気付く頃にはねるの顔が間近にあった。濡れた前髪に、濃いめの化粧に、厚く塗りたくったファンデーションにふさがれた毛穴から汗粒が鼻に集中して浮き出ている。

いきなり、唇を突き出してきた。キスして、と言っているようにしか見えないその唇はどこか女性器を連想させるような卑猥ひわいさがあった。心臓がキスされている錯覚を起こしたのか動悸が早くなる。

「ねぇ、なんであの時、私にキスしたと?」

ねるはそういた後、唇を舐めた。

「えっ、なんのこと」

急な質問にそうとぼけるしかなかった。シャワーを浴びて冷えたはずの私の肌が熱を帯びるのを覚えた。

「寝てたら王子様のキスのせいで目覚めちゃった」

にっこりと口を大きく弧を描いて微笑んだ。表情からは感情が読み取れない。ゆっくりと距離を縮めて私の唇を押しつぶすように重ねてきた。これで私は3回目の不実なキスを働いた。
んぱっとリップ音をわざとらしく立てて離れた後、ねるは言った。

「ざまみろ! あはっ」

違うんだ。君にキスしたのは決して恋しているからではないんだ。決別のキスなんだ––––。

そう伝えようとしたら、びくんっと身体が跳ねた。私のデリケートな部分に股間に何かが触れてきたからだ。バスタオルの上から私の分身をそっと撫でてきたのだ。

「なにす……あっ!」

拒絶する前にするりとバスタオルの中に手をわせ、優しく扱いできた。皮と芯がれる感覚がたまらなく気持ち良い。
私は言葉を失っていた。口をぱくぱく動かしても言葉が出てこない。

あの日、梨加ちゃん一筋で生きると宣言したくせに、いざ強引に求められた途端、尻込みしてしまう。自分の不貞さに対面した私はぶつけようのない怒りと絶望に打ちひしがれる。

(うそだろ、平手)

持ち主の気持ちに反して、さきほど一回抜いたはずの分身がムクムクと回復していった。

(まじかよ、平手)

分身はいともたやすくねるの手に翻弄ほんろうされていた。弓の雨に立ち向かう勇敢な姿は見えない。私は、私に幻滅する。

「本当に生えてるんだ! そ、その……うふふ!」

大胆に私の男性器を扱いてるくせに、男性器の名称を口にするのは恥ずかしいらしい。照れ笑いを浮かべながら私の肩に埋めてきたが、男性器を扱くその手付きは手馴れている。

清純の仮面を被ったビッチにはどこか興奮をき立てられるものがあるのだろうか。苦手なタイプだと信じたかったのに、分身は嬉々として大きくなっていく。
いつも自慰しているときの、自分の手とは違う肉感に思わずが震えた。

「あうう、やめ……」

自分の中に残っている貞操観念を呼び覚まそうと葛藤している私の耳に、悪魔のささやきのようにねるは言った。

「硬くなってるよ」

理性と本能がシーソーのように揺れている。本能に負けまいと、理性を食おうと、互いに上下している中、女性が本能のほうに近づいていた。女性……ねるは笑顔を浮かべると本能の後ろに座ってきたではないか!
理性の自分は絶望しながら上へと浮いていく。

私の手はねるの肩を押す抵抗の役目をやめ、今度は射精をこらえる役目となった。

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