お手洗いから帰る途中でどこからか「サイレントマジョリティー」の曲が聴こえた。画面が平手一面に映り、若者たち誰しもが彼女に心酔しながら力一杯歌う姿が容易に浮かぶ。苛立ちからか無意識にマイクを持つ手が顫えた。
それでも、平手の奴は私が内心そんな苦悩にのたうっていることなどつゆ知らずに、自分自身の地位や名声よりも欅坂46のメンバー全員のことで頭いっぱいだし、一人の彼女じゃ飽き足らず他の女をも抱く「英雄色を好む」を発揮する始末だ。
私がMVの大半以上を占める日は来るのだろうか。皆が笑顔で踊るアイドルらしい曲を歌う日は来るのだろうか。しかし、平手からセンターの座を奪う未来を浮かべても、結局は夢物語に過ぎない事実を突きつけられ、激しい虚栄心が私を刺戟するばかり。
平手の才能に魅入られつつも、その一方ではとんでもない挫折を味わってほしいと願っていた。そんな矛盾した醜い感情が私の中で延々と渦巻くのだ。
(私は、どうなるんだろう)
「なんか歌う?」
由依が首を傾げながら電子盤を渡してきた。我に返った。
––––てちと私さえよければあとはどうでもいい、って思ってんのミエミエ
––––私からしたら、てちに相応しい自分に酔ってるっつうか。執着しすぎて、ちょっと怖い
ムカつくあいつの声が蘇ったのを振り切るように、元気よくマイクを由依に差し出した。
「一緒に歌おうよ、西野カナ!」
不思議なことに、平手の存在が評価されればされるほど、私の笑顔の仮面は完璧へと研がれていくのだ。
(大丈夫、バレてない)
由依に笑顔を向けたままでいると、彼女は照れ臭そうにおほん、とひとつ咳払いしてから一緒に歌い始めた。
「ずーみんが目指してるものは今の欅坂とは違うかもしれないけど」
デュエットが終わった後、しばらく電子盤で曲名を吟味していた時だった。私の平手に対する激しい嫉妬心を見透かされたようで、少し狼狽えてしまった。
由依ってば聞いて! 世間は平手ばかりでむかつくの! そして私の頭の中もどうしても平手ばかりなの! なのに平手は私なんか目もくれずに梨加ちゃん、ねるとエッチしたの! 本当むかついてしかたないの!
と、ヒステリックに泣きわめけば、もっと楽になれるだろう。だが、私の下積み時代に着々と育ってきたプライドが許すはずがなかった。誤魔化そうと「えー?」と、おどけて笑ってみせた。
「私ね、センターを目指すずーみんが好きだよ。応援してる」
由依は八重歯を剥き出しにして笑った。私とは違って偽りのない笑顔だった。不覚にも、嬉しさで頬が上気していくのを感じた。崩壊寸前のナルシズムと自尊心が徐々に快復してくる中で、私は思った。
もしかしすると、由依とならば、欅坂46に革命を起こせるかもしれない––––。
平手へどうしても断ち切ることのできない憎悪に似つかわしい想いは、もはや呪いであった。そして、それは精神的破綻を早めてしまう結果を招くことになりかねない行為だということは、この時知る由もなかった。