渡邊side
今になって、さきほどのビンタの罪悪感が襲いかかる。
(いくらなんでもやりすぎたよね。謝らなきゃ––––)
「ねぇ、君。さっき、まん子ちゃんを張り倒した子だよねぇ?」
声がした方を振り向くと、大柄のおじさんが立っていた。喋るたびに歯の抜けた不揃いな歯が覗かせている。
「はぁ……」
「処女なんだってね? 可愛いのに処女って、今まで彼氏とかはいなかったの?」
大柄のおじさんは下卑れた笑みを浮かべると、 いきなり私を抱きしめてきた。
「嫌っ! やめてくださいっ」
きつく抱きしめられ、体の自由を奪われてしまう。お尻を撫でてきて、恐怖のあまりとうとう声が出なくなってしまった。
(誰か、誰か助けて––––)
「しゃっせー! ローションはいかがっすかぁーっ!」
とっさに思い浮かんだ人の声がしたかと思うと、店員のような掛け声をあげておじさんにローションをぶちまけた。ローションまみれになったおじさんは顔を赤くして、まん子ちゃんに殴りかかろうとするも、滑る足元で勝手にこける。
「困りますねえ、いくら発情されてもレープはルール違反すよ。早漏さん?」
口調は至って冷静だったが、きつい目を更につり上げておじさんを睨みつけている。おじさんはほうほうの体で逃げて行った。
まだ震える私の手を引いて、連れてこられた場所はまん子さんの部屋らしかった。まん子ちゃんは私に背を向けたかと思うと、いきなり着替えだした。びしょ濡れのTシャツを放り投げてブラジャーのホックを外している。白い肌に食い込んだブラジャーの跡がくっきりと残っている。彼女の眩しい背中に私は思わず凝視してしまう。
「じろじろ見んなよ、すけべ」
図星だった私は慌てて目を逸らす。
「み、見てないし!」
(なんなの、後頭部に目でもあるの?)
顔を背けつつ、まん子ちゃんにお礼をのべる。
「さっきは、ありがとう……」
「どーいたしまして。黄砂ちゃん」
「黄砂やめろ!」
「黄砂に潤いを、ローションお買い上げになりますかー?」
「ローション買いに来たんじゃねーよ!」
「それともコンドームお買い上げすか?」
「相手いないし……そじゃなくて!」
キッと睨むと、どこかのライブTシャツに着替えたまん子ちゃんは涼しい顔をして私を見ていた。余裕なのが悔しくて腹が立ってきた。そんな思いを振り払うように私は言った。
「さっきは……ごめん」
ヘクシッ
まん子ちゃんは空気を読まず、くしゃみをした。鼻をすすりながら、私に歩んでくる。
「んー、じゃあ一つだけ言うこと聞いて」
「えっ……なに?」
「暖めて」
「ストーブあるじゃん……」
ストーブの方を指差すと、まん子ちゃんに掴まれた。ハッとして顔を上げると、丸顔の割には凛々しく整った顔が近くにあった。切れ長の眼が真っ直ぐ私に向けられている。その瞳に引き寄せられるように恐る恐る、まん子ちゃんの筋肉質な体に手を回す。すると、まん子ちゃんの手が私の唇に触れた。
「唇、三人」
なにしてるの、と言いたかったが心臓が激しく高鳴り、呼吸を忘れて言葉が出せない。次は胸のところに触れる。
「っ……!」
「おっぱい、一人」
次は股間のところに。さっきとは違い、優しく触れてきた。
「〇人」
カァッと顔が赤くなるのが自分でもわかった。
「なぁ、処女の何が恥ずかしいの?」
「だって、遅れてる感じがするじゃん。皆、済ませてるし……」
「そんだけ美人で処女って逆にレアじゃん。安売りしてなくて好感持てるし」
まん子ちゃんは切れ長の目を細くして微笑んでいた。仏頂面の美人が見せる笑顔の破壊力は凄まじい。
(本当、なんなの)
さっきからけたたましく高鳴る心臓の鼓動がまん子ちゃんに聞かれないことを願うばかりだった。
「あのさ、名前……なんていうの?」
「まん子」
「本名……」
まん子ちゃんはしばし黙ったのち、頭をかいて返答した。
「愛佳」
「えっ? 愛佳?」
「そう、愛佳。私の名前」
「可愛い名前」
ぽろっとそう言うと、愛佳の切れ長の眼が丸くなった。
「ん? もしかして、黄砂ちゃん口説いてる? あ、欲求不満になっちゃった系? でしたら当店自慢の極太バイブを……」
ポーカーフェイスの頬をつねる。
「いらねーよ! あと、理佐! 黄砂じゃなくて、理佐。私の名前だから」
「へぇ。理佐の方が可愛い名前じゃん」
きゅーん、と心が揺さぶられる。
「理佐さ、めっちゃ私のタイプ」
つねっている頬を離す。
「んー? はい」
赤くなっている顔を見られたくなくて、愛佳の肩に埋める。
「もうちょっと喜んでよ、こんなこと言うの初めてなのに」
「うるさい」
「私さ、媚びてこない人がすげえ好きなの」
私の毛先を弄びながら続ける。
「理佐みたいな人。初めて」
私の髪の毛に顔を埋めてきた。
「返事しろ~、一方的みたいで恥ずかしいじゃん」
返事できるわけがなかった。私の胸はもう尋常なくらいときめいていて、愛佳の顔なんて見たら溺れそうで。肩から感じる愛佳の体温が心地よくて顔を預けたままでいると、私のお尻に触れてきた。
「……なにしてんの? 引っ叩くよ?」
「ケツ……も、〇人か」
「なっ!」
カッとなって顔を上げると、不意に口を塞がれた。
「んっ……」
キスは言い当てられた通り、これまで三人の男性と経験したことがある。だから、平気だと思っていたのに。男性とはまた違う唇の感触。媚薬でも仕込ませているんじゃないかと疑いたくなるくらい、頭が痺れていた。本来なら突き飛ばしてるところを、私は愛佳の背中に手を回して力一杯抱きしめていた。
「……悪い。理佐があまりにも可愛いから」
「きっ、キスしてんじゃねーよ!」
「っしゃー!」
「ふっざけんじゃないよ……!」
「あははっ!」
大きな口を開けて笑いながら私から離れると、部屋の隅に置かれたダンボールの箱を開け始めた。なにやらごそごそ言わせて、きゅっきゅっとマジックのこすれる音がする。
「よしっと」
愛佳はあるものを手に持ちながら私のところに戻ってきた。
「はい、どうぞ」
ブイイィィィイン……
愛佳が握っている極太バイブが暴れている。
「新商品だけど、内緒にタダであげる」
「あの……言っとくけど欲求不満じゃねーし、それいらないから」
「いらない? そっか……」
愛佳の眉がみるみる八の字になって、肩を落としてしゅん、と凹んでしまった。
(あーもう!)
「わかった、もらうから! もう!」
愛佳の表情がぱぁっと明るくなる。
「うん! もらって!」
にこにこしながら差し出された極太バイブを受け取る。
(なんなの、この可愛い生き物は……)